牡鹿半島在住:菅さん

※このインタビューは2011年10月8日に収録しました。 菅原:今回、電話をつなぐのは、9月になりましてから宮城県のあちこちを視察に3日間、行ってきました。そのときに、今まで被災地に行ったことのなかった私の息子で、B-DASHのGONGONという名前でパンク、いわゆるロックをやってるバンドの息子がおりまして、そのときに、B-DASHの熱烈なファンが牡鹿半島に居るんだよっていうことをGoing TOUHOKUの現地スタッフの人から聞いていまして、そんな人、居るの? と思いましたが、それが菅さんでした。そして、きょうはその菅さんと電話がつながっています。こんばんは、菅さん。 菅:こんばんは。どうも。 菅原:先日はいろいろとありがとうございました。 菅:いえいえ、大変、お世話になりまして、本当にありがとうございます。 菅原:いいえ。その後、息子のブログをお読みになりました? 菅:はい。毎日、読むようになりました。 菅原:菅さんのことはすごいハンサムな、イケメンって書いてありましたよね。 菅:そうですね。ちょっと、いいのかなと思ったんですけどね。 菅原:本当にさわやかな、日焼けした、とてもかっこいいおじさんというか、お兄さんという感じがしましたけど。 菅:もうおじさんですけどね。 菅原:今、お幾つですか。 菅:今、38です。 菅原:そうですか。ありがとうございます、いろいろ、息子の音楽をたくさん聞いていただいて。 菅:いえいえ、とんでもありません、本当に。 菅原:それで、流されたときに、おうちが全部、流されたんですか。 菅:そうです。うちはもう本当に低いというか、海のすぐそばなんで、すぐ一瞬でもう流されましたね。 菅原:流されたときに、家族は無事でいらしたんですか。 菅:そうですね。みんな、離ればなれだったんですけど。子どもたちは学校の方に、女房とおふくろが家の方に、それで、おやじと弟が沖に船を逃がして出したんです。それで、私は岸壁沿いで資材の片づけしてたんですけど、気をつけてなかったら、後ろから波、来てたんですよね。それで、山の方に車でそのまま逃げたような格好でしたね。 菅原:その牡鹿半島では随分、亡くなられた人も多いので、それだけ、ご自身の家族が全員、助かった例っていうのは本当に、逆にいうと、奇跡的に良かったですね。 菅:本当に、家族全員の安否が確認できたときは本当、ほっとしましたね。 菅原:本当に、家が流されたって、それもご自身が建てた家だったんですか。 菅:いや、それはもう代々続いて、俺のじいさんが建てた家ですね。 菅原:私が牡鹿半島に行ってびっくりしたのは、皆さん、とても裕福な、立派な大きな家に住んでるので、うちなんかよか全然、大きくて、立派だなと思ったんですけど、やっぱり菅さんの家も立派な大きなおうちなんでしょ、元の家は? 菅:いや、うちは立派では……、年数もたってましたけどね。 菅原:でも、部屋数が大きくて、1個1個の部屋はやっぱり20畳とか30畳とかって大きな広間があるんですかね。 菅:やっぱりこっちのいなかの方なんで、座敷、マオカ、オカミっていうんですか、各一部屋ずつぐらいはあるぐらいの家ですけどね。 菅原:私、家にあげてもらって、びっくりしたんですよ。こんな大きな立派なお座敷が1階にあって、それでまたキッチンも10畳ぐらいで、それでまた別の部屋があって、2階に上がると3部屋、4部屋、みんな大きい部屋で、失礼いたしましたっていう感じで、皆さん、もともとは、牡鹿半島ってやっぱりものすごく海の幸に恵まれてる場所なんですね。 菅:そうですね、本当、恵まれてますね。 菅原:菅さんのお仕事はアナゴなんですか、とるのは。 菅:基本、メーンにしてるのはカキとワカメだったんですけど、あと、合間にアナゴとか、アワビやナマコとかとったりしてたんですね。 菅原:聞いてると、天然アナゴですよね。 菅:そうです、天然です。 菅原:それはめったに口に入らない上物というか。カキなんかもやっぱりすごくおいしいものでしょ? 菅:そうですね。本当、おいしいですね。 菅原:今、これから漁協組合にも国の方からだんだんとお金が下りていくと思うんですけど、カキの方はいつごろから再開できそうですか。 菅:アナゴの方は一応、道具かき集めて、アナゴ漁の方は再開したんですよ。あと、今はワカメの、もうすぐ種つけが始まるんです。それに向けて今、海の方の準備作業をしてるような状態でした。 菅原:じゃあ、現金収入も来年の春ぐらいになったら、少しずつ入ってきそうですかね。 菅:来春、ワカメの収穫と同時に収入になってくるとは思いますけど、それもやってみなくちゃ分からないっていうとこはありますしね。 菅原:それから、私がびっくりしたのは、家が流された人は普通、全員が仮設住宅に入るんですけど、ご自身で家を建てられたんですよね。 菅:はい、そうですね。 菅原:いや、本当にたくましいなと思って。奥さんと一緒に写ってる写真を息子が見せてくれたんですけど、そこでミニ・ライブをやったんだとかいってましたけどね。 菅:そうですね。うれしかったです、本当に。 菅原:生ライブ、やったんだ、みたいなね。 菅:はい、うれしかったです。 菅原:でも、その家を建てるって、そこまでの根性やガッツのある人はなかなか今、被災した人ではないでしょう? 茫然自失の状態で何をしていいか分かんない人が多いですけれども、それをちゃんと自分で……。しかも、あそこの場所っていうのは自分の場所じゃないんですか、今、建てられてるところは。 菅:自宅で、流された場所ですね。 菅原:流された場所にもう1度、建てられたんですね。 菅:そうです。 菅原:じゃあ、狭いながらも楽しい我が家っていう感じですか。 菅:そうですね。 菅原:こないだ、すごい台風が来ましたね。あのときは大丈夫でした? 菅:もう雨漏りも随分しました。GONGONさんにもメールしたんですけども、台風、本当、怖かったですね。 菅原:もうちょっとで屋根が飛びそうとかメールが来てたっていってましたけど。 菅:そうです、そうです、もう。 菅原:なんとか屋根は持ちこたえたわけですね。 菅:持ちこたえました、なんとか。 菅原:でも、雨はどんどん家の中に入ってきたっていう状態ですね。 菅:そっちで雨漏り、こっちで雨漏りって、雨漏り、いっぱいしましたけどね。 菅原:でも、お声を聞いてると、そういいながらも、すごくガッツがあって、明るくて、さわやかで、聞いてるだけで気持ちいいような感じがしますけど、そういう若い人ってなかなか、牡鹿半島にもたくさんいらっしゃるわけじゃないんでしょ? 菅:そうですね。でも、ここの小渕浜っていうとこなんですけど、ここは結構、後継者は多い方なんですよ。 菅原:普通、後継者不足で、後継者がたまに居てもお嫁さん、来ないよ、みたいなとこが多いんだけど、そういう意味ではやっぱり豊漁とういうか、たくさん、お魚や高級魚がとれたり、いろいろで、そこでは生活が十分、成り立つ以上の収入があるということで、リッチな方だから、皆さん、後継者がたくさん居られるわけですよね。 菅:そうですね。 菅原:そういう意味では、これからうんと早くに、急速に復興して、おいしいカキをつくり、おいしい物を次々にまたつくっていただくことが何より、他の、元気のない宮城県の人たちを励ますという意味でも大切なお仕事をされてますね。 菅:そう思って一応、自分でも頑張ってるつもりですけどね。 菅原:頑張っていただきたいと思います。やっぱり若い人が元気であることが、お年寄りの人たちも元気、出せるような環境をつくることにもなるし、また、そういうニュースがどんどん出てくると、他の漁業をやってる人たちもみんな、力を合わせて頑張ろうっていう気になりますよね。 菅:そうですね。 菅原:若い力でぜひ、これからも頑張っていただきたいと思います。 菅:はい、ありがとうございます。 菅原:またお会いしたいですね。 菅:そうですね。またぜひ、お会いしたいです。GONGONさんの方にも必ず会いたいです。 菅原:本人も喜んで行くと思いますので。会いに行くと思いますので。 菅:よろしくお願いします。 菅原:どうもありがとうございました。 菅:はい。頑張ってください。 菅原:はい。