南相馬市災害対策本部・斉藤弘さん

※このインタビューは2011年5月12日に収録しました。 東日本大震災の現状をお伝えしていきたいと思います。今回ご紹介するのは、南相馬市の災害対策本部の斉藤弘さんですが、この方とは実は娘が誰よりも早くTwitterを通して20kmから30km圏に物資を輸送するトラック、4トントラック二台をチャーターして行くことになったことがきっかけで、お知り合いになった方です。 菅原:斉藤さん? 斉藤:はい。斉藤です。 菅原:先日は大変お世話になってありがとうございました。斉藤さんのおかげで南相馬市の二箇所の避難所を訪問して、菅原麗子のスマイルプロジェクトのチャリティメイク、化粧品をプレゼントしたり、いっしょに行ったすがはらやすのりの歌を聞いていただいたり、ついでといえばついでなんですが、私の健康に関する避難所の暮らし、運動や食べ物のアドバイスを書いた健康ハンドブックを配らせていただいたり、幾重にもお世話になりましてありがとうございました。 斉藤:こちらこそありがとうございました。本当に避難所の方々も大変よろこびまして、感動のあまり涙を流した方もいらっしゃいました。本当にありがとうございました。 菅原:私は斉藤さんがすばらしい方で感動しました。娘が若いからドンドコドンドコ走っちゃうんですよね。Twitterでいきなり、仲間を集めたり、その延長上で最初のきっかけになったのは「うちのお父さん、南相馬市の役所の人なんです」というお嬢さんからTwitterをいただいて、それが林さんだったんですよね。そして、林さんと電話でつながって、どんなものを持って、どこに行ったらいいんだろうという相談をしたら、最初は南相馬市に何も物が来てなかったんですよね。 斉藤:そうです。 菅原:それで、「助けて!」という声。お父さんは、役所の偉い人なのに「物資ください、食べ物くださいと言われたんですよ。それでいつ持って行こうという話になっていたんですが、あの当時は3月の17日でしたが、どんな状態でしたか? 斉藤:もうまったく物が入ってこない。ちょうど原子力発電所の原町区の方はいい。20キロから30キロのところに位置しているんですね。そんなことで流通がまったく途絶えてしまって、ガソリンも来ない。物も来ない。人もこないというような本当に隔離された状態だったんですね。 菅原:まるで伝染病で今にも死にそうなほど「感染る」伝染病の隔離された地域みたいな感じですね。 斉藤:そんな感じでしたね。本当にもう夜なんかは車、人はぜんぜん通らない。若い人達は、みんな避難してたんですね。で、(原町)区はというのは7万の人口だったんですが、だいたい5万人くらい避難されてたんじゃないかなという感じでしたね。 菅原:5万人の食料を確保するというのは大変なことですよね。 斉藤:本当に物がありませんので、スーパーに買いたくてもスーパーの人も逃げましたから、街の中がゴーストタウンのような感じもしましたね。 菅原:水もなかったわけですか? 斉藤:幸いにも水道は出たんですけど、その頃、いわゆる幼児に水を飲ませると線量が高いのでということで幼児には水をあげるのを控えてくださいというのがありまして、若いお母さん方は大変苦労されてましたね。 菅原:そんなひどい状態の中で南相馬市の市長さんが本当に涙と怒りに震えながら、NHKのテレビで電話でつながってそして食料といったって誰も届けてくれない。「お前たち汚染されてるから食料欲しかったら30キロ離れたところまで役場の人間が取りに来い」とうような話でしたよね。 斉藤:まったくその通りで、ここから50キロ離れたところにわざわざ支援物資が届いたということで取りに行って、そういうような状態だったんですね。 菅原:本当にこのことは被災された方々の苦しみをどこまでサポートする気があるんですか。というところを問われますよね。 斉藤:んー、本当にね、放射線というのは目に見えないものだから怖いと思いますね。そんなような中でいち早く菅原麗子さんに届けていただいというのは感謝感謝の気持ちでいっぱいです。 菅原:ありがとうございます。たまたま私が科学者ですから、放射線というのは積算量で1年間でこのくらい。というのがわかりますので、一瞬南相馬市に行こうが、飯舘村に行こうがレントゲン一回分以下じゃないの?という計算がすぐ成り立つ立場におりましたので、それで20キロ、30キロ圏内に行っても大丈夫ということでね、みなさんが偏見や恐怖心を持っている時でも車の中にいたら5がけくらい、外に物資を運んだとしても30分。だとしたらどうってことないんだから大丈夫だよ。むしろずっといる人のこと考えたら、なんでもやれるだけのことはやりましょうという立場で、応援してたんですが、結局、みなさんの方はテレビに市長さんがお出になったことで物資が届くようになったと。 斉藤:そうですね。 菅原:その後、娘の麗子がお願いされた支援物資を送っても、その時は、クロネコヤマトも佐川もぜんぜん動いてなくて、遠いところまで取りに行かれたんですよね? 斉藤:そうですね。本当にそういう時期だったんです。ようやく4月に入って、、、、本当に最近ですね。クロネコヤマト、佐川急便などがようやく南相馬市の原町区に30km圏内に入ってきたのはごく最近です。 菅原:本当にお忙しいみなさんが支援物資を役所の仕事としてどこかまで取りに行くってとてつもなく大変な手間ですよね。 斉藤:届けていただいたものを本当に20キロ離れた相馬まで取りに行ったというのはつい最近までありました。 菅原:この間、避難所に行った次の日に斉藤さんにぜひ見てもらいたいということで沿岸部の一番、被災のひどい、それこそ家も何もなくなって、ものすごい引き波でさらわれて何もないところを車で見せてもらいましたよね。あの風景は絶対忘れられないくらいなんですが、本当に寒々しい光景。これが元通りになるにはどれくらいかかるんだろうと目眩がするほどの状態で、その中でところどころに若いお母さんが車でゆったりと走って家族の遺体とか、生きているかもしれない人を探すということで時々悲しいまなざしの人を見かけたんですけども、ああいう風景が毎日なんですよね。 斉藤:はい。今でも続いてますね。本当に家族の方は行方不明の方々は南相馬市の場合、403名なんですよ。その方々はもう本当に家族の方々は時間があれば、被災されたところに行って本当に捜索活動をやったり、何か思い出に残るような遺品を探しに行くというのは毎日あった光景で、そういう状況です。 菅原:避難所の中でも私が娘のことを「こんなふうにボランティアができる娘に育って私もうれしかったです」と言ったら、それを聞いただけで泣いてらっしゃるおばあちゃんがいらっしゃったんですよ。あとで聞いたら、「実は娘が40代なんだけど、私が残って娘が亡くなったんです」ということで、「娘の話を聞いただけで涙が出て止まらないんです」っておっしゃってましたけど、本当に自分より若い娘が亡くなったり、お孫さんのご両親が亡くなって、孫の世話をこれからするんですっていう人もいましたし、とても大変な状態の中でこれからまた生きていくという決意がいるようなことをたくさんの方々が背負っているんだなということを実感させれられたんですが、役場の人や消防隊の人でも被災はありますよね。 斉藤:ええ、本当に毎日遺体捜索とかですね。がれきの後片付けというのは消防団、警察の方、自衛隊の方で毎日のようにやってるんですが、地元消防団の方々は家族が亡くなられたり、家を流されたりしながらもそういった活動に参加している人はいっぱいいます。 菅原:ご自身が消防団でありながら、避難所にいたりとか、そういう方もいるわけですよね。 斉藤:もちろん、家がありませんので、避難所から仕事に行かれたり、あるいはこちらの方でアパートを借りて仕事に出かけるという状況ですね。これは市役所も職員もまったく同じです。 菅原:役場の人も警察官も消防団もそんなことをツユとも感じさせない働き振りなので、えらいなー、日本人なんだなぁという気がしたんですけれども、そういう方々、まず被災者の人を優先しようという気持ちが非常に強いですよね。 斉藤:はい。本当に市の職員だけでなく、消防団、消防署それから警察の方々も今できることを本当に精一杯やっているという状況ですね。 菅原:南相馬市は一部分が原発の近くまで南相馬市に入るわけですよね。そこにぜんぜん人が住めないような場所に南相馬市は20キロ、30キロもあるけど、それより中側も南相馬市なんですよね。 斎藤:ちょうど20キロ圏内に小高区という南相馬市が合併して、小高区が20キロ圏内。それから原町区といわれる、旧原町市ですが、そこが20キロ、30キロ圏内。それから30キロ圏外ということで鹿島区。この三つが合併したわけですけども、ちょうど大きく分けると小高区が20キロ圏内。20キロ30キロ圏内に原町区、30キロ圏内に鹿島区があるというようなのが南相馬市の状態ですね。 菅原:そういう意味ではいろいろなケアをしなければいけないし、原子力の放射線の基礎知識だとか、そういうものを普及したり、線量計を使って移動される市役所の方も消防団の方も線量計で放射線を測りながら仕事をされなくちゃいけないという立場だと思いますが、それは十分足りてるんですか? 斎藤:それが、まだまだ線量計を持っているのが原子力発電所の事故が起きた時にいち早く届けてもらったのが100個でそれ以降、まだ線量計というのはこちらに来ていないんですよ。今、教育委員会関係とかそういうところでそういう動きはあるものの、まだこちらには届いていない状況でありまして、私たちも含めてなんですが、現場に行くんですが、線量計を持たないであるいはそこがどれくらいの線量なのか。というのがわからないのも作業に従事しなければならないという状況になっていますね。 菅原:そういう意味では、一刻も早くこれを聞いてらっしゃるみなさんの中で線量計を持っている人がいたら貸してもらいたいとか。 斎藤:そうですね。今日もある山間のところに住まわれている行政区の区長さんなんですが、その方の気持ちとして自分のところの放射線量がどれくらいになってるか調べてほしいということで、そちらに行ったんですが、山間なものですから、南相馬市の平場については0.5〜0.7くらいの値で推移しているんですが、そこの高倉は、4.0台の線量なんですね。飯舘村と同じくらいの値ということでそうなれば、いわゆる国で言ってる計画的避難区域のような地域と変わらないだろうというおはなしをされていましたけど、本当にそれぞれ自分のところがどれくらいの線量なのかというのが本当に生活している人たちは本当に心配だと思います。 菅原:そうですね。お話は尽きないんですけど、時間になりましたのでこれで終わりになりますが、本当にこれからに長く長くお仕事大変だと思いますけども体に気をつけてがんばってください。 斎藤:ありがとうございます。 菅原:ありがとうございました。