(株)Bijou Factory代表・菅原麗子さん(5月30日収録)

※このインタビューは2011年5月30日に収録しました。 菅原:後半は、今週も被災地の現況をお伝えしたいと思います。今回電話をつなぐのは、実は娘の菅原麗子なんです。彼女は、自分の娘だからということではなく、今回の震災の中で、3月17日、18日ぐらいに、まだ原発が爆発して直後なんですけれども、そのときにツイッターで知らない人たちに呼びかけて、今から、トラック2台確保できたから福島の20キロから30キロ圏のところにいろんな物資を持って助けに行きますと。だから、そのときに来てほしい人がいたら、ぜひこちらに、ツイッター上で申し込んでほしいっていうことをいったんですね。そしたら、助けてほしいってSOSがたくさん集まったり、また自分がそういうところでサポートもしたいっていう人がたくさん名乗り上げたりで、ほんとに大変なツイッターの炎上じゃなくて、いい方の盛り上がりがありました。そんなことを、今日はリポートしてもらいたいと思います。こんばんは、麗子さん。 麗子:こんばんは、菅原麗子です。 菅原:化粧品会社のBijou Factoryっていう会社をお持ちで、その傍らボランティ活動を今回の被災に直面して頑張るようになったということを、『日経ウーマン』で読みましたけれども、実際にはツイッターかなんかから始められたって書いてありましたけど、どんなことなんですか。 麗子:恐らく、菅原明子さんは私の母なので、私がずっと携帯いじってた場面を見たと思うんですけど、あれは140文字以内で、本来はつぶやいたり、こう思ったとかそういうことなんですけど、私、当日テレビとかでも、こういった物資が足りないとか、エリアごととかはやっていなかったので、福島に行きたい。でもどの避難所に行くかとかも、法人として通行の許可が下りたばかりで、前例というのがなかったもので、そういったリアルタイムの、ここの避難所に何人いるとか、ここに行った方がいいっていうのはメディアでもやっていませんでして、ツイッター上でそういった、行きますっていってから、いろんな方々が来てくださいまして、実際に福島県内の、郡山でしたり、飯舘村だったり、そういったところに……。 菅原:行かれたときは、全国で一番早いタイミング、3月の事件の、3月11日からまだ1週間しかたってないときに、福島県の20キロから30キロ圏、つまりほとんど誰もそこに行きたがらない放射線の厳しいところという状態で、物資が一番届いてない場所に行こうとしたわけですよね。そのころは、よく私が聞いてたのは、行こうと思っても高速がうまく通ってないとか、ガソリンが入れてもらえないので、途中で引き返してきて結局物資が現地まで運べなかった。 麗子:そうなんですね、それも……。 菅原:みんなそれで、諦めて。 麗子:リアルに、ツイッターの、ツイッター仲間って今ほんとに友だちになったりとか、いろんな方々がそのときはおっしゃっていまして、みんな引き返してしまうっていってて。原発から計算したりとか、30圏とか、ところでもなくても、もう福島県のところで、やっぱそういうので、放射能のところでどんどん、ボランティアのバスだったり、トラックが帰っちゃう。みんな別の場所に行ってしまって、みんな泣いているっていうことは、話は聞いていました。 菅原:ツイッター上での、そういう意味では、誰も来ないからぜひ来てくれっていうのが、バーッと集まったわけですよね。 麗子:そうですね。 菅原:実際4トントラック2台分の食料とか、その他どういうものを入れたんですか。 麗子:あとは、ほんとに私まったく、テレビの情報以外にニーズがいろいろありまして、皆さまが、アメブロっていうのもやってるんですけども、それとツイッターで、あとミクシィで、何が必要なんだろうったら、みんなやっぱつながって、ネットワークってありますよね。現地の方と携帯つながったりとか、一緒にいる方が、じゃあ、胃薬が足りないとか、あとは化粧水が欲しいっていってる方々もいたりとか。あとはナプキンですね。大人用おむつもです、子ども用おむつだけではなく。やっぱり下着とかそういったこともですし、結構時間がたってきていたので、食料と、お水はもとのことですが。 菅原:じゃあ、そういう多様なニーズに、決心してから、トラックの手配ができて、通行証を取って、たった一日でそれ全部8トン分の物資を集めるって、なかなか二十代の女性にできることじゃないと思うんですけど、やっぱりそれは友だち仲間ですか。 麗子:ほんとにそれってもう、地元の友だちであったり、今まで一緒に遊んでた友だちがいろいろとメールで転送してくださって、大森に住んでる友だちと一緒に電車で買いあさって、どこも品切れ状態したので、ほんとに1軒ずつみんなで、あとでお金は返すからっていって、もうみんな、いいよ、やるよって、ほんとに動いてくださって、家に、どんどん、どんどん荷物を、助けてくださったりとか、あとは近所の青果屋さんですね。 菅原:八百屋さんですね。 麗子:八百屋さん。いつも頼んでる大田市場さんが、また売り出すようになったっていうことで、友人が協力してくださって行ったんですけども、販売権利というものが都庁に行かないと発行されないとのことで。 菅原:八百屋さんだったら買えるけど、大田市場でプロとして買うことは、なかなか許可が下りなかったって意味ですね。 麗子:取引の場所ですからね、そうなんです。 菅原:じゃあ、随分苦労しながら、無事成功して、飯舘村も行ったし、その近所のいろんな、郡山とか、大きいところ、小さいところ、何カ所行ったんですか。 麗子:4カ所以上は。トラック2台に分かれて、A班とB班に分かれて、どんどんほんとにツイッターで、タイムリーに、タイムリーに場所が変わってくるんですね。朝、助けてくださいっていってた●の人が、娘さんから助けてくださいっていうのでつながって、昼ぐらいには、テレビに出れたのでこちらの方は落ち着いてきました。どうぞ他の方にって。 菅原:そういう意味では、1時間ごとに状況変わって。 麗子:もうほんとに、えって思って。30分前まで200人だった郡山市のビッグパレットふくしまが、200人だから、がっかりさせないように4トンで分けたので、分散して行けるようにしたんですね。そしたら、なぜか着いたときに2,000人になったんです、1時間の間とかで。 菅原:それは、ビッグパレットっていうのは、富岡町とか、浪江町とか、双葉町とか、原発周辺の人たちがドドドっと、そこに避難してきたわけですね。 麗子:そうなんですね。それがほんとタイムリーで、もうそれはツイッター上でも分からなかったことだったらしく、着いて分かりました。 菅原:そうすると、いろんなとこで物資を積み込みながら、交通証、高速道路通れるようになって、ほんとドラマチックですね。 麗子:そうですね。本当になんかもう、一人一人のお知恵をお借りして、あとまた情報と、こういったルートとか、皆さんが、しかも会ったこともない方々がたくさんいて、みんなで、力が集結して、普通じゃ、一日24時間、正確にはたぶん、下りて、通行証が、まず最初は、●たり、どこ行くとかをやってたので、買い物集めは18時間とかですよね。 菅原:じゃあ、寝ないで頑張って。 麗子:それを8トンっていうのは、ほんとに皆さまの力がすごいなって。 菅原:じゃあ、一緒に連帯した人たちの力のたまもの。 麗子:ほんとに。 菅原:ある意味では奇跡的な状態を作って、そして、みんなが何していいか分からない、何かしてあげたい、でも何もできないというそういうジレンマの中で、若い人たちは、特にツイッターの中で、そういうことが原因でなんか足の引っ張り合いとか随分あった中ですごい大成功したので、みんながあそこで、すごいハッピーエンディングっていうことに対する幸せ感を、随分感じたような感じですよね。 麗子:エンディングっていうのはまだね、長期戦ですけど、やはり私一人、小娘というか、漢字とか苦手なので間違えたりとか、アワアワ、アワアワやっぱその、自分も24時間で行きたいっていうのだったり、途中で、運転手が少し足りないとか、募集したりとか、でも諦めないみたいのを、皆さん見守ってくださってて。どこへ行けばいいか、会ったことがない皆さまがほんと優しく、いろいろ全部サポートで、背中を押してくださったんですよね。 菅原:良かったですね。 麗子:タイムリーに。 菅原:その結果いろんな行政マンの人とも友だちになったり、南相馬市の市長さんからも表彰状がもらったりとか。 麗子:泣きました、額縁に、すごくうれしくて。なんか私の名前になってしまっていて、これを2枚作って、プリントアウトして、皆さまって書いて。ツイッター仲間の皆さまと、地元の仲間の皆さまっていう、それに変えて。 菅原:みんなに分けたんですか。 麗子:皆さんに、そう。もう書いてあるんですけど、いっぱい額縁買えないので、写真だけでも送りたいと思います。 菅原:ありがとうございました。